フレッシュ ラジオ クラブ (JA1YUN)の概要
[開局の目的]
東京の下町エリアのアマチュア無線家が集い、アマチュア無線の健全な発展を図り、無線通信技術を学びながら会員相互の友好を深め、災害時にはアマチュア無線による通信ネットワークを構築して地域貢献をすることを目的に設立されました。
[無線局の概要]
* 社団局名 : フレッシュ ラジオ クラブ
* コールサイン : JA1YUN
* 会長 : 根日屋 英之 (JE1BQE)
* 主たる活動内容 : 災害を想定したアマチュア無線による通信ネットワークの構築
* 電波の型式、周波数及び空中線電力 : 1AM
* 無線局常置場所 : 東京都台東区 (JCC #100106)
[沿革]
* 1949年(昭和24年) : JA1VX 香取OT(1937年に J2OV を開局)などが 東光クラブ (JARL登録クラブ 10-4-22)を創立
* 1967年(昭和42年) : 東光クラブの若手メンバーがアマチュア無線社団局 東光 F.R.C. JA1YUN を開局
* 1971年(昭和46年) : 東光 F.R.C. JA1YUN メンバーが 東京都台東区の防災訓練にて アマチュア無線の通信訓練を実施
* 2025年(令和7年) : JA1YUN の社団局名を「東光 F. R. C.」から「フレッシュ ラジオ クラブ」に変更
* 2025年(令和7年) : 首都直下型地震などの災害に備え、隣接する 文京区アマチュア無線局災害非常通信連絡会 JR1ZEF と連携
子供の頃に見たアメリカ(CBS)のコメディー・ドラマ 「ギリガン君 SOS」 の中で、主人公のギリガン(船員)が乗ったクルーズ船がエンジントラブルで漂流し、たどり着いた島でラジオを無線機に改造して SOS を出すシーンを見ました。このドラマで「無線」は人の命を助けるための重要な通信手段であることを知りました。
このドラマは私の人生に大きな影響を与えました。私はラジオを無線機に改造できる技術を身に付けないといけないという使命感から、中学生の時(1971年5月)に、アマチュア無線技士の資格を取得し、自宅から自作の無線機とアンテナで電波を送信できるアマチュア無線局 JE1BQE を開局しました。その後、現在まで自作の無線機やアンテナの多数の製作記事をアマチュア無線雑誌に執筆しました。
私がアマチュア無線の免許を取ってから20年経った1991年8月に、ドイツ人夫婦が乗っていたヨットがインドネシア近海で漂流し、アマチュア無線で助けを求める「SOS」の電波を受信しました。 私は、そのドイツ人夫婦を救出するための 緊急通信ネットワーク を環太平洋のアマチュア無線家と立ち上げ、人命を救助する貴重な体験をしました。当時の私のアマチュア無線による人命救助活動については、新聞、日本アマチュア無線連盟(JARL)の会報、アマチュア無線雑誌などに取り上げられました。
近年、東京でも首都直下型地震が懸念されていますが、過去の災害時の事例では既存の通信インフラがダメになり、アマチュア無線は交信できる唯一の通信手段となりました。令和3年3月の法令改正によりアマチュア無線の定義が明確化されたことで、非常災害時(事前・直前準備、訓練)から災害復旧時までの継ぎ目のない通信支援が可能になっています。また、ドローンによる上空からの画像伝送や、消防団が行う活動に関する通信についてもアマチュア無線が利用できるようになりました。
私が会長を務める職場のアマチュア無線クラブ(JH1YTU / JR6YUH)と台東区の地域アマチュア無線クラブ(JA1YUN / JR1ZZZ)でも、地域貢献ボランティア活動として、アマチュア無線の体験会を開催し、シャック(無線室)には災害時の無線通信設備を常設しています。